2011年9月25日日曜日

人生がときめく断捨離の習慣


かつて、物が沢山あることを幸せに感じていた頃があります。多くの楽器に囲まれて、それはそれで嬉しかったりしたものですが、そのくせ物を大事にせず、部屋の掃除や片付けは後回し。それはひどい状態でした。ある音楽雑誌の方から「仕事場紹介」的な取材の依頼を受けましたが、写真を送ったら返信がありませんでした。取材には値しない位、雑然とした部屋ということだったのでしょう。

以前はこんな感じ…。(恥ずかしいので小さい写真にしときます)


3年位前でしょうか、図書館で「持たない暮らし/金子由紀子」という本を借りて読んでみました。これは「片付け本」なのですが、もう目から鱗状態になりました。一念発起して、まずはものを捨てることから始めたのです。

・前にも書きましたが、壁一面がCDと楽器で埋まってました。(角部屋なのに窓が見えない状態)で、CDはプラケースを処分。ラック式のエフェクター類、使わないシンセ類も処分しました。もう実機が無い機材や家電の取説もまとめて。

・メディア類も基本的には廃棄。Zip、MD、フロッピー、カセット、DAT、ビデオ等も。アマチュア時代のテープは今聴いても全然楽しくないので、数点だけ残して処分。

・音楽雑誌類はバラして、資料として必要な物は「Scan Snap」でPDF化し、パソコンの中で管理。

・洋服もダイエットしたあとぶかぶかになってしまったものが多く、これまた処分。20年前のステージ衣装がとってあったのに自分でビックリ。

・ケーブル類。使用出来ない物多数。SCSI、ADB、シリアル、パラレル、RCC等、現在は廃止されている規格のケーブル達。買った値段を考えると気が遠くなる。

溜まったゴミ袋を見てみると、こんなに物が部屋の中のどこにあったのか不思議な位、もの凄い量でした。

必然的に残った物は自分が本当に好きなものか、どうしても必要な物だけに。これは何とも気分が良いものなのです。


小物類はラベルを貼って決まった場所に収納。カセット入れを流用しています。この中に必ず片づけるようにしたら、物を探すことが無くなりました。前は「カポはどこ?スライド・バーはどこ?」と捜し物ばかりしていたような気がします。


一度片付けると何故かあまり散らからなくなり、時々掃除をする程度でOKになるんですね。モノが減ると掃除自体も楽々です。

今でも時々「片付け本」を読んでみますが、基本的には同じようなことが書いてありますね。真理なのだと思います。(話題の左の本もつい買ってしまいました。が、処分済み)


さて、問題はMacの中身。ファイルの管理システムがうまく構築できません…。悩んでます。

2011年9月18日日曜日

ホテル暮らしと珉珉の餃子

オーディションの夏〜1984年からの続きです。(一番下、または左側のラベル内の「History」をクリックして頂けると回想系の記事をまとめて読めます。)

1984年、千里のオーディションに合格し、顔合わせのミーティングを行った後、河口湖にあったカラウェイというスタジオで合宿しながらのリハーサルがスタートしました。(バンド時代にも利用し、その後、何度も行ったカラウェイが今どうなってるのか、ネットで調べてみたら何と!廃墟になってしまっているようで、ちょっとショックを受けてます。)

年齢は僕が一番上でしたが、本人やメンバーはほぼ同世代、無邪気で楽しい合宿だったような気がします。6日間をここで過ごし、残り数日を都内で仕上げのリハを行った後、最初のライブを行うべく、大阪に移動しました。

僕にとって、千里の仕事での初ステージは大阪のライブ・ハウス「バーボンハウス」。この店で演奏すること自体は、この時が初めてではありませんでしたが、熱狂する満員の観客(しかもほとんどが女性)には本当に圧倒されました。高校生の時、PA会社でのバイトの時に舞台の袖から見ていたようなステージに自分が立っていることに、何だか不思議な気持ちになりました。

この時、関西では4本の学園祭と「バーボンハウス」に加え、神戸「チキンジョージ」でのライブを含め、計6本の公演が予定されており、空き日は大阪のスタジオでバンドだけのリハーサルの日程が組まれていました。

サポート・メンバーはキーボード担当で大阪出身の松下一也君以外は、全員が東京暮らしで、この時のオーディションで選ばれた面々。大阪中之島にあるビジネス・ホテルのツイン・ルームに11日間滞在しました。同室になったのは竹田君というベーシストで、彼とは話しのネタがなくなるほど、いろんな話をした覚えがあります。音楽のこと、バンドのこと、バイトや学校や彼女のことなどなど…。

この大阪滞在時に僕を悩ませたのはお金の問題。どんな仕事でもそうですが、ギャラを頂けるのは数ヶ月後。何の準備もないままに合宿→リハ→関西公演という生活になり、持ち合わせは減り続け、かなりのピンチ。現場でお弁当が支給された日はOKですが、それが無かった日は、自腹で食べるしかありません。

そんな、僕を救ったのが「珉珉」という名の中華料理のチェーン店。非常に安価で食事することもできるこの店で本当に毎日「餃子定食」を食べました。(¥350とかだったような…。でも、おいしい!)

その後、ライブの規模はどんどん大きくなり、テレビ、ラジオ出演なども含め、さまざまな経験をさせてもらいました。アーティストのサポートとしてギターを弾くことの心構えや、プロのミュージシャンとしての考え方などはこの時に得たものが大きかったと思っています。それまではアーティストや観客が望む演奏というものを意識したことはあまりなかったですからね。

今でも大阪に行った時に珉珉に行くことがあります。メニューの中から餃子以外の料理を一緒に注文するとき、とても幸せな気分になるのです。

(この店、調べてみたら東京にも沢山あるみたいですね。昔からありました?)

2011年9月14日水曜日

メンテナンスいろいろ

週末から昨日までは忙しく過ごしていました。(ありがたいことです!)11日の日曜日には朝4時起きして、またまた東名高速をひた走ってきました。富士川SAには7時頃に到着。スタバでコーヒーを買って、富士山の写真を撮りました。この時間はまだ少し雲が多かったですけど、昼間は暑くなりました。


で、仕事を終えて昨日の夜おそく、自宅に戻ってきました。

今日は一日、少しのんびりしようと思っていたのですが、いろいろと雑用をこなす日にしようと思い、あっちこっちに行ってきました。

・ギターのメンテナンス
楽器は長く弾いているといろいろなパーツに不具合が出てきます。特に仕事で使っている楽器は消耗が激しく、定期的にメンテナンスをする必要があるのです。 最近メインで使っているストラトの調子が悪くなってきたので、信頼するギターテックの方に預けに行くことにしました。 今回は「フレットの摺り合わせ」をお願いしてきました。


写真の下側(指板の上)に打ち付けてある金属製のワイヤーのことをフレットと呼ぶのですが、金属製の弦を押しつけて、時にはぐいぐいと上下にこすりつけながらビブラートを掛けたりするので、だんだんと摩耗して凸凹になってしまうんですね。そうすると、ポジションによっては音がビビってしまい、本来のトーンが得られなくなってしまうのです。そこでフレット自体を均一に削って、クリアなサウンドになるように調整してもらうのです。

今回は物理的な部分の修理をお願いしましたが、エレキギターの場合は電気回路の故障もあり、こちらも定期的なメンテが必要です。仕事に必要な大事な道具ですから、綺麗に仕上がって戻ってきた楽器を再び手にした時の喜びは、新しい楽器を購入した時と同様で、モチベーションが上がります。楽しみ!

・車のメンテナンス
仕事以外ではほとんど車には乗らないのですが、最近は長距離の移動が多いので、点検は欠かせません。今年は車検の年でもあり、来月が期限なので、予約を入れました。

自転車は注油程度しかしていないのですが、タイヤがそろそろ交換時期かもしれないです。

・メガネのメンテナンス
ずっと目だけは良かったのに、小さい文字が読めないのは不便ですね〜。疲労度が影響しているのか、日によって見え方が違う気がします。早めに対処しようと思い、先日、新しいメガネを作りに行ってきました。

・歯のメンテナンス
歯医者さんから定期健診のお知らせの連絡がきました。 今のところ特に問題無いのですが、年を取ると歯は大事という話はよく聞くので、時間を見つけて行こうと思います。

予定していた雑務は全て完了。結局、のんびりはあまりできませんでしたが、移動中は買ったばかりのレッチリやドリーム・シアターの新譜も聴けましたし、充実の一日でした。

次回はまた、昔の話でも書きましょうか。

2011年9月7日水曜日

北上してきました

月曜日&火曜日は札幌に行ってました。本当は昨日は帯広に移動してのイベントが予定されていたのですが、北海道は台風の影響で雨が強く、札幌〜帯広間のJRや高速道路が不通に。残念ながら中止になってしまいました。帯広イベントに参加予定だった皆様、申し訳ありませんでした。近い内にまた伺う予定です。

僕が浦安に住み始めてから気に入っていることの1つが、東京駅と羽田空港への交通の便が良いことなんです。東京以外の地域に移動することも多いので…。


羽田にはディズニーランドや新浦安からリムジン・バスがあり、よほど道路が混んでいない限りは30分前後で移動できます。 (因みに東京駅にも舞浜から京葉線で乗り換え無しで20分位です)TDRに遊びに来る人達とは逆の移動になるので、電車やバス自体も空いていることが多いですね。たくさんの笑顔を見ながら&ディズニーの音楽を聴きながら仕事に出かけられるのも気分が良いです。

飛行機に乗る時にギタリスト&ベーシストを悩ませてきたのが、楽器の運搬に関すること。かなり以前は機内に持ち込むこともできたのですが、現在はNG。JALとANAでは対応が分かれました。ANAは楽器用のコンテナを導入してくれたので、「楽器が壊れても文句言いません」的な念書を取られるものの、安全に運搬して頂けるようになりましたので助かってます。


ギターケースは「Sadowsky」のセミ・ハードケース。通常のソフトケースとは違い、頑丈で中身も動かないように固定されているので安心です。ポケットにケーブルなどが沢山入るのも◎です。


そういえば第2ターミナルが完成してから、内部を探索したことが無かったので、ウロウロしてみました。さすがに新しいだけあって綺麗です。3階の讃岐うどんの店でぶっかけうどんを食べましたが、本格的&おいしくてビックリ!


札幌でたっぷり仕事をして、昨日の内に帰って来ました。新千歳空港では定番の六花亭の「バターサンド」とお弁当を買いました。弁当はちょっとケチって一番安い「ホッキごはん」(¥680)にしたんですけど、これまた美味〜!期待していなかったので写真を撮らずに食べ始めてしまい、食べかけの写真になってしまいました。苫小牧名物と書いてありますね。


ってなわけで、東京に到着。帰りのバスもガラガラで快適でした。いろいろな所に行かせて頂けるこの仕事、楽しいです!

2011年9月4日日曜日

ジェフ・ベックという存在

時々、エフェクター・セミナーや学校などで

「好きなギタリストは誰ですか?」

と尋ねられることがあります。好きなギタリストは沢山いますし、時期によっても変わるのですけど、僕がギター・プレーヤーというものを意識した最初の人物である「ジェフ・ベック」と答えることにしています。

中学3年の1973年、始めて音楽雑誌「ミュージック・ライフ」を買いました。ビートルズの各メンバーのソロ活動についての記事が読みたくて買ったのだと思います。その中に来日公演を行ったジェフ・ベックのインタビュー記事と写真が載っていたのです。

その頃のベックは20代後半であったと思うのですが、もの凄くカッコイイ大人に見えました。どんな音楽を演奏しているのかすぐに確かめたくなり、レコード屋さんに走り、そして購入したのが「ベック、ボガート&アピス・ライブ・イン・ジャパン」という2枚組のアルバムでした。


アルバム・ジャケットの内側にはステージ写真がたくさん!レスポールを抱えたジェフ・ベックに強烈に憧れました。そう、当時は音楽的な事よりもルックスに目を奪われていたのだと思います。ですが、アルバムの全てのフレーズを完全に覚えてしまうほど聴き込むことになり、いつか自分でもギターを弾いてみたいと考えるようになったのです。

このアルバムはライブを収録したもので、たった3人で演奏しているにも関わらず、もの凄い迫力。歌モノにも関わらず、自由でインスピレーションに溢れたベックのプレイに圧倒されました。このアルバムに先立って発表されていたスタジオ盤はダビングが多く、もしそちらを先に聴いていたら、これほどまでは感銘を受けなかったかもしれません。


その後、ジェフベックはインスト作品ばかりを発表するようになり、ソロ・ギタリストとしての地位を不動のものにしていきます。それらも勿論素晴らしい作品だと思っていますが、僕にとってのジェフのベスト・プレイはこのBB&Aのライブやボブ・テンチをボーカルに据えた第2期のジェフ・ベック・グループのような、歌モノの作品だと強く感じています。ボーカルのメロディーラインの隙間を縫って発せられる鋭いフレーズ数々は、自分でギターを弾くようになって、益々その凄さが理解できるようになりました。

ジェフ・ベックのプレイから影響を受けたのは、フレーズそのものでは無く、自由な発想で楽曲にアプローチする姿勢だったような気がします。でも、これを書きながら最近は自分の中のそんな感覚がちょっと鈍ってきていたことに気づきました。「くそー、頑張ってそんな姿勢を取り戻そう!」なんて思っています。